みせるきないアートきょうみあるねってはなしになったんですが てことはわれのきょうみはもはやアートでなくてもこれはよかったはなしだ・・・!歴史的文脈もなにもひつようなかったはなしだ
・・・感動があれば いいじゃない!みたいなことなのか・・・?
そうかもしれない本質は!
the aim of the art has always been the same
it is make you forget your own name
(marlene dumas)
うえのはヘンリーダーガーの話だったが そういえばいつも僕がすきですきでしょうがなくて
しかもうえのようそをみたしているものがあった
わすれてたけれども それは街の落書き(のうちの一部のもの)だったね!!
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5 comments:
らくがきは逆に見せる気がありまくりではないだろーか…
ヘンリーターガいきました!ジョゼフコーネルという人も自分の中で共通してよいです
みせるき…それはたしかにありまくりとおもいます.
うえのようそというのは,アートかどうか??という点です.落書きのうち,一部のものに,アートではない感をはげしく感じるんです(個人的レベルのはなしなのかも…)
ヘンリーダーガー…もうすこし自分もかんがえてみようとおもいます
ああなるほど。重箱スミつっついたみたいになっちゃってすいません。生活のなかの要素でしかないもの?圧倒的に自分のためにつくられたものとか‥心から必要としてつくられたものが好きです。それって「作品」とか、そういうことではないんだなといつも思うなー。
とても共感します.ぼくもいつも考えています.別になんでもよかったはずだ…!とおもってます.自分のためにやってるように感じられるものに妙に感動してしまうことがあって,それってほんとは驚くべきことなんじゃないかと思います,ミラクルを感じます.(昔は「自分に必要」っていう考えに,それがないとしんでしまう…!みたいな悲壮感がつきまとっている気がしていました,だからどうもその考えに向き合うのがうまくできないというか,重たいとか背負いきれない感じをいだいていたのですが…あとは貧乏性というか,必要なさそうなくせにいつまでもとっとこうとするというか…何言ってるのかわからない文でごめんなさい.)今は,もっとふつうに,普段の生活から真に必要とされているものに背かずに,あとは真に必要とされてないものに対しては無理せずにつきあっていければいいんだろうというかんじですごしています.
それってなんだっけ…
むかしの記憶をよびもどすと…
坂口安吾「日本文化私観」これでした
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